2004年入社
MY STORY
20代の私が
抱いた浅知恵。
この会社で3年経験したら、あとはコッチのもの…。30になる前には渋谷あたりのオシャレなWeb会社に転職してしまおう(^▽^)/ 悪魔の囁き、と言えば自分をごまかせるような気もするが、まぎれもなくそれは入社当時の私が抱いていた浅知恵であった――。
派遣の営業事務というルーティン業務をしていた私が転職を考えたのは、仲の良かった同僚が突然、転職を宣言したからだ。「Webコーダーになる」。調べてみると、インターネット人口普及率は約7割に達し、あちこちにWeb会社が生まれてhtml言語を記述できるコーダーは引っ張りだこ状態だった。今がチャンス!そう考えて社会人向けの専門学校に通い始めた。
MY STORY
未経験者としての選択。
1年後。いざ転職、と行動を開始したが、募集要項には「経験3年以上」の条件が…。そこでとにかく「未経験者歓迎」の会社に片っ端からアプローチしたのだが、その多くはマンション内にあり、数人の若手が血眼になってPCと格闘している。今風に言えばスタートアップ企業のいで立ちだが、私のような初心者に梁山泊みたいな巣窟で過ごす勇気はない。そのなかで唯一、まともなオフィスを構えていたのがブレーンセンターだった。
入社してその理由がわかった。ブレーンセンターは当時、主に上場企業を顧客としたPR冊子をメインに安定した事業を営んでいた。Web部門はいわば新規事業。だから血眼でPCと格闘する必要がある。それでもオフィス空間があり直属の上司はベテラン女性で周囲には爽やか系若手男子もいる。ここなら3年ぐらいは苦痛ではないだろう。そう考えていた。
MY STORY
辞める機会を
逸し続けて…。
それから10数年。私が今もこの会社にいる理由は一つ。辞める機会を逸し続けてきたからだ…。決して冗談ではない。Webの世界は技術革新があまりにも速く、いつまで経っても“次の課題”が出現するため3年ぐらいのキャリアでは「一丁上がり!」という気分にならない。5年目には産休に入り、ここは辞め時ではあったが、役員に昇格した上司から「復帰後は現場の技術リーダーを担ってほしい」と言われた。それなりの技術と実績を積み重ね、以前より増えた若手社員の相談相手にもなっていた私がここで引くわけにはいかない。何とか期待に応えよう。それが人情というものだ。
MY STORY
技術支援から
人の育成へ。
そんなこんなで、オシャレなWeb会社への華麗な転身という黒計画は未遂に終わったが、それで良かったと思っている。Web事業は今や当社の売上の過半に迫る勢いで伸びている。そんな環境のなかで若手社員たちが日々試行錯誤しながら力をつけていく姿を見るのは技術者冥利に尽きる。その一方で、私も今では技術支援だけでなく“人”の成長を支援する部門リーダーだ。その責任を果たすためには1年や2年では済まない。ここはひとつじっくりと腰を据え、仲間と向かい合うしかないだろう。
ANOTHER SIDE
コロナでなかなか出かけられないなか、正月に「少しは体を動かそうかな」と買っていた「リングフィットアドベンチャー(©Nintendo)」に子どもたちと一緒にはまっている。15分もやるとヘトヘトになるが、「カラダに効く感じ」がヨロコビで週末は計3時間も費やしてしまうことも。「あまりの筋肉痛で翌週の人生を棒に振ることもあります(笑)」。(冗談でしょうが面白いのでそのまま掲載しました:編集部)。